母ロス 自分には関係ないと思っていましたが。

こんばんは。yonagaです(^O^)/

とてもお久しぶりです。今日はちょっと長くなりそうです。

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私は、アルツハイマー型認知症の実母を介護していましたが

平成30年4月13日(金)に突然、母が倒れ蘇生措置をしましたが

そのまま帰らぬ人となりました。

10年と10日の介護が突然終わりました。

当日は、いつも通り朝、母を無理やり起こして

着替えをさせ、紙パンツもはかせて、朝食を食べさせて薬を飲ませました。

7時20分近くに母にいつも通り「行ってきます。」と言うと

母は「はい。」としか言いません。

で、「お母さん、行ってきますって言われたら、行ってらっしゃいっていうんだよ」と母に言いました。

そしてもう一度、「行ってきます」と私が言ったら

母は小さな声で「行ってらっしゃい」と言ってくれました。

これ、毎朝の一コマです。

毎朝同じコントをしています。(笑)

母は、平成20年4月3日に父が急逝したその日から突然認知症のスイッチが入ってしまいました。

振り返るとそれまでに認知症の予兆はあったのですが、私達家族は気が付きませんでした。

しかし、父が亡くなったその夜から母の奇行が始まりました。

配偶者の死は心に大きな傷を与えるというのは本当だと思いました。

母が認知症になってから数年は人が変わったように狂暴になりました。

母は自分が少しずつ変わっていく事に恐怖を感じていたのだと思います。

その気持ちを思うととても切ないです。

初めての介護で私や家族はかなり戸惑いました。

特に正社員として働き、残業や休日出勤もバリバリやっていた私は

介護と仕事の両立ができず、疲弊していました。

そうこうしているうちに、ストレスにより私の右耳が突発性難聴になり入院しました。

地域包括支援センターの指導員の方やデイサービスの職員の方の協力のお陰で

「ゆるい介護」ができるようになりました。

それまでは何事も完璧を求める私でしたが、介護はそれでは長続きしないと分かり、

「がんばらない事をがんばる」ようにしました。

例えば、排便などで衣類が著しく汚れてしまった場合、

今までの私の常識では、「まだ使えるものは洗濯をする」のが当たり前でしたが

「洗濯をする」のではなく「捨てる」事にしました。

とにかく100%は求めない事に決めました。

そんなことを求めていたら、介護する側が先に倒れてしまいます。

できるだけ自宅で長い年月、介護をしたいなら

「テキトウ」がちょうど良いのがこの数年の介護で分かりました。

だから、「無理をしない」「いい恰好はしない」「ちょっと怠けるくらいが丁度よい」

そんな自分を許す、自分を肯定するように決めました。

そして、必要以上に自己否定しない。

自分は素晴らしい。よく頑張っている。

悪い事は何も起こらない。

そう思うと、母の介護も楽になりました。

時々、自分を抑えられない位怒ることもあるけれど、まっ、いっか。

だから、ここ数年は、介護を楽しめるようになっていました。

「あと7年位はこのままでいてほしい」

そう、勝手に思っていました。

認知症の症状以外は、どこも悪くない母でした。

母位の年齢になると、「ひざが痛くて正座ができない」という方が多いですね。

でも、母は昔から本当によく歩く人だったので、足腰がピンピンしています。

こちらで注意しないと一日中、正座しています(笑)

普通に食事もするし、歩けるし。

だから、まさか、こんなに早く亡くなるとは思ってもみませんでした。

救急車で運ばれた病院の処置室で医師から

「蘇生措置をしましたが意識はもどりません。このまま亡くなります。」と言われました。

母はハアハア苦しんでいる様子もなく、静かに寝ている様子でした。

「あっちゃ、おぎで!」(お母さん、起きて!)

私は母の頬をてのひらでやさしく包み、何度も母にそう言いました。

時々、心電図の波が動き、「聞こえている!?」と思いましたが

それは機械の誤差のようなもので、もうほとんど生きていないと医師に言われがっかりしました。

母の頬はまだ冷たくはありませんでした。

その後、姉と姉の娘とその子供(母にとってはひ孫)の到着を待ち、

みんなが揃ったところで、母の臨終の時刻を医師が告げました。

「母はもう亡くなっている」と医師から言われてから20分以上は経っていて、

臨終の時刻を待ってもらえるんだとその時思いました。

病院で母を送り出す準備をしている間に葬儀屋さんに電話をし、

会社の社長と直属の上司に電話をしました。

実は、明日の定休日に会社の行事があり私はその実行委員のメンバーでした。

明日の準備の最終の詰めをしている途中で「母が倒れた」の電話が入り

とりあえず帰宅した次第でした。

だから、明日の最終的な書類と経費のお金を明日の早朝に社長の机上に置いておく事にしました。

そして、私が発表する予定のところを代わりの方がやってくれることになりました。

この日のために一か月前から何度も話を詰め、書類も直しを繰り返し、会場設営の準備もしてきました。

合言葉は「出席率100%」でしたが、まさか、私が欠席する事になるとは。

翌朝、社長の机上に書類やお金を置くために5時頃に会社に行きました。

葬儀屋さんが母のご遺体を迎えに来る前に、夫を病院に残し

私達は一足先に帰宅しました。

母を迎えるために、家をきれいにしなければなりません。

仏間や居間、玄関など、人が来るところを中心に、一斉に片付けました。

とりあえず小屋または二階へー  

夫のお兄さんのお嫁さんも来てくださり、皆で片づけました。

その後、ご遺体が到着し、葬儀屋さんが仏間の周りに布を回してくれ

散らかったものが見えなくなりました。

少しして、おくりびとの方が見え、母の死化粧をしてくださり、

普段、お化粧をしない母なので、きれいな母の顔が不思議でした。

母はこんな顔をしていたんだー  へー

不謹慎ですが、なんか不思議でした。

翌朝、葬儀屋さんが見えて、葬儀の日程を決めました。

お寺さんへのアポは葬儀屋さんがその場で取って下さり助かりました。

また、私の会社から大きな「枕花」が届きました。

「枕花」ってご存知でしょうか。

私は今の会社に入るまで、「枕花」という存在を知りませんでした。

通夜や葬式の会場に飾る「御供花」ではなく、

ご遺体が眠るご自宅のところに亡くなってすぐに届くお花です。

60年以上の歴史があるウチの会社は、そういう昔からのしきたりを大事にしています。

古き良き時代のものを継続しています。

こんなところもウチの会社の誇れる部分です。

母は婿取りです。(そういう私も)

だから、母はこの土地に85年間住んでいます。

母が亡くなったと知ったご近所の方やお友達が我が家にいらっしゃって

母のお顔を拝みに来てくださいました。

火葬される前に一目お顔を見たい、そう思ってくださるお気持ちがありがたい。

納棺された時、母の顔はもっと綺麗でした。

入れ歯も入っていて、介護していた時のボーっとした感じはまったくありません。

唇が薄く、ニーッと笑っているような口になっていて

こんなに美しい母を今まで見たことがありませんでした。

「闘病生活数か月」とかではなく、元気にしていて突然亡くなったので

顔がやつれている事もなく、「本当に亡くなっているの?」と思うくらいです。

お棺には、私達の爪、髪の毛、紙に書いたお金などを入れてあげました。

出棺の時は、集まってくださった皆さんで母の顔の周りにお花を飾りました。

その時、母に触れるのはこれが最後だと思うと私は母の手をどうしても触りたくなりました。

予想外に、母の手はとても冷たかった。

当たり前です。腐敗しないように全身ドライアイスに囲まれているのですから。

本当、キンキンに冷えていました。

亡くなって血の気がなくなった冷たさではなく、キンキンという表現がぴったりでした。

そして、くぎ打ちをし出棺。

霊柩車には喪主である夫が同乗しました。

私達は霊柩車の後ろを車を運転しながらついて行きました。

霊柩車は後続の車と離れないように、信号機の移り変わりにとても気を使ってくださったのが印象的でした。そういうものなのですね。細かいところまで気を使ってくださって、ありがたいです。

火葬場につき、一息もしないうちに整列し、最後にもう一度母のお顔を見て

そして、お棺は炎の向こう側へ。。。。

「もう、母の姿を見ることはできないんだ。」

そう思うと、少しだけ涙がでました。

でも、号泣はしませんでした。

そう、私は母が亡くなってから今日まで、まだまともに号泣していません。

母が亡くなったらきっと泣くんだろうなと思っていましたが

まだ、まともに泣いていません。

なぜ?

まだ実感が湧かないから?

火葬が終わるまでは控室で待つのですが

私は喪主の妻であり、

母の次女なので、のんびりできません。

来ていただいた親族の方々一人一人に

姉と一緒にあいさつに回りました。

来ていただいた方の中には、冠婚葬祭の時しかお会いできない方も多く

どういう関係なのか、その都度お聞きしながら回りました。

自分一人では勇気がいりますが、姉と一緒だったのでなんとかできました。

親族関係をお聞きして、これはとても勉強になりました。

焼きあがって(表現がおかしい)お骨を骨箱に入れる時

足が長いので折ってよいかと職員の方に聞かれました。

生前、本当によく歩く人だったのが、この骨がそれを物語っていました。

太くて長い足の骨でした。

お年寄りになると骨がスカスカになったりして

焼いた後は結構、形がなくなるのですが

母の足は、「足!」って感じで、そのままでした。

なんか、誇らしげな気分になりました。

親の足に誇りを感じた娘でした(#^.^#)

全てのお骨を入れてしまい、その骨箱は私が抱えて火葬場をでました。

骨箱を膝の上に置いて車に乗って帰りました。

「へーっ、骨箱、あったかい(#^.^#)」

不謹慎にそう感じました。

こちらの葬儀の流れは

火葬して、お通夜、葬式になります。

都会では、お通夜、葬式、火葬でしょうか?

その夜、お通夜が営まれました。

私が勤める本社の方は全員お通夜に来てくださいました。

もちろん、社長もお越しくださいました。

たかが一社員のために、みなさんがご会葬くださり、本当にありがたい事です。

本社の他に、他市の営業所の方や、工場の方もお越しくださりました。

6時からの通夜に間に合うには夕方早めに仕事を切り上げないと間に合いません。

父の葬儀の時もそうでしたが、本当にありがたい事です。

長くなりましたね。

続きは次回へ。

ここまでお読みくださりありがとうございました(#^.^#)

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