母のお通夜で、喪主の挨拶をバトンタッチされました。

こんにちは。yonagaです。

アルツハイマー型認知症の実母が亡くなった話の続きをします。

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私は跡取りです。つまり、夫はお婿さんです。

今回亡くなったのは、同居していた私の母です。

だから本当は自分が「喪主」になりたかったのですが

やはり世間体などを考慮し、夫が喪主になりました。

私は以前から

「将来、母が亡くなった時、喪主の挨拶は私がしたい」と思っていました。

だめですか?

だって、私の母が亡くなったのだから。

10年前、同居していた私の父が亡くなった時は母が喪主でした。

喪主は母でしたが、葬儀の「喪主の挨拶」は夫が代わって言いました。

そういうのに慣れていない夫は、葬儀屋さんが用意してくださった定型文を読んで終わりました。

今まで私は普通の人よりはたくさんの通夜にでかけています。

いまから30年位前、新聞社に勤めていた弟が

わずか3か月間の闘病の末、急性骨髄性白血病で亡くなりました。

その時、300名以上の方がお通夜に来てくださったり香典をくださいました。

だから、それからは、その新聞社関係者や葬儀に来てくださった方々の不幸に際した時は

必ずお通夜に出向くようにしました。

父と一緒に行った時もありますし、一人で行った時もあります。

それで、お通夜といっても、宗派によっては様々だなと感じました。

数人のお坊様がまるで合唱のようなお経を唱える宗派がありました。

提灯をさげているところもありました。

私はお経の後のお坊様のお話を聞くのが一つの楽しみでした。

故人の思い出を話されたり、戒名の由来を話されたり

あの世の話をされたり、様々です。

また、喪主の方が故人の若かりし頃の話や

お亡くなりになる間際の話などをされる方もたくさんいらっしゃいました。

亡くなった方はどういう方だったのか分からずにお通夜に参列する事が多いので

喪主の方からのそういうお話は、「あー、来てよかった」と思います。

たくさんのお通夜に参列してみて、「いつか、私の親の時は、ただ定型文を読んで終わり、ではなくて、来てくださった方々のためにも故人の元気だったころなどのお話をしよう。」

そう思うようになりました。

でも、父の時は、「夫がいるのにでしゃばっては夫の立場がない」と思い我慢しました。

しかし、10年間介護した私の母のお通夜の席では、どうしても自分の言葉で挨拶をしたいと思いました。

だから、夫にお願いをしました。

「お通夜の時だけ、喪主の挨拶は、最初、あなたが話し出して

そのあと、私に受け渡してほしい。文章は私が考えるから。」とお願いしました。

心の広い夫は即答してくれました。

次の文章は、お通夜の喪主の挨拶でした。

(夫が話す)

本日は、故 〇〇 〇〇の通夜にあたりまして、皆様にはご多忙のところ、

ご会葬・ご焼香賜りまして誠にありがとうございました。

また、ご丁重なる弔電をいただきまして、故人も深く感銘していることと存じます。

ここに、故人に代わりまして、生前のご厚誼に対し厚くお礼申し上げます。

この場は喪主から挨拶をするべきではございますが、

我が家は、認知症の母を家族全員で介護し、

その中で一番身近にいた私の妻が代わってご挨拶申し上げます。

(ここからは私が言いました)

本日はお忙しいところ、母の通夜に御会葬くださいまして、誠にありがとうございました。

母もお集まりいただきました皆さまに温かく見守られまして、喜んでくれていることと思います。

母は、昭和8年〇月〇日、父 〇〇、母 〇〇の四女として誕生し、

〇〇と結婚後、一男二女、孫6人、ひ孫1人に恵まれました。

さらにもう一人のひ孫がもうすぐ誕生予定です。

昨年は、家族全員で桜まつりに行き、転ばないようにと、私は母の手を握りながら桜を見て回りました。

数十年ぶりに握る母の手は、骨と皮だらけでしたが、暖かい手で、とても幸せな花見になりました。

母が認知症になってからは、記憶能力が落ちて参りましたが、体はいたって丈夫で、

食事も着替えも、少しの介助があれば自分でほとんど全てやる事ができましたので、

食事の準備をしてあげたり、薬を飲ませたり、着替えを手伝ったり、

家族全員で母の介護をしてまいりました。

地域包括センターの担当者様、ディサービスの皆様には特にお世話になりました。

これからも今の調子で元気に暮らしていけると思っていましたが、

4月13日の夕方頃に、軽い吐き気をもよおし、その後トイレで倒れ、

心肺停止の状態で、救急車で病院に運ばれ、

蘇生措置の甲斐なく、午後7時31分、眠るがごとく、85歳の生涯をとじました。

突然の事でまだ信じられない気持ちですが、

母が晩年を幸せに過ごすことが出来ましたのも、

ひとえに皆様方のご厚情のたまものと深く感謝申し上げます。

当日の朝は、いつも通り、母を起こして着替えさせ、朝食を食べさせ、薬を飲ませました。

そして、私が「行ってきます」と言うと、「はい」としか言わず、

「お母さん、行ってきますと言われたら、行ってらっしゃいと言うんだよ。」と私が教えてあげ、もう一度、母に「行ってきます」と言ったら、「行ってらっしゃい」と言ってくれました。

その「行ってらっしゃい」が私への最後の言葉になってしまいました。

「行ってらっしゃい」と言った母が、先に遠くへ逝ってしまいました。

あちらの世界では、ご先祖様、母の長男 〇〇、夫の〇〇、姉の〇〇が母を迎えてくれると思いますので安心です。

これからも家族仲良く頑張って参ります。

今後とも私ども遺族のため変わりなきご厚情を賜りますようお願い申し上げます。

本日はお陰様をもちまして、滞りなく通夜をとりおこなう事ができました。

厚く御礼申し上げまして、ご挨拶とさせていただきます。

ここまで。

この短い文章を私は何度も声を出して練習をしました。

母のお棺の近くだったり、お仏壇の前だったり、母の部屋だったり

とにかく、突っかからないように何度も練習をしました。

お陰で本番ではスラスラ言う事ができました。

この事は夫以外、誰にも知らせていませんでした。

だから、この文章を読んでいる時、隣にいた姉、私の娘達、姪っ子達はもちろん、

お通夜にいらっしゃった方の何人かは涙ぐんでいらっしゃいました。

実の娘として、母のお通夜を満足のいく形で終わらせることができ

良かったなと思いました。

将来の自分のお通夜のために、今から文章を書いておこうかしらと思ってしまいます(笑)

翌日は葬式、取り越し法要をしました。

そのあと会食をし、私は最初から各テーブルでお酒をついで回りました。

そう言う事は全く苦手なのですが、勇気を振り絞って頑張りました。

今までは両親がやってくれたことでしたが、もう、代わってくれる人はいません。

私が率先してやっていかなければいけない。世代交代をしたんだと実感しました。

お葬式は、ただ悲しんでばかりはいられない、

というか、悲しんでいる暇がありませんでした。

忙しい中、わざわざお越しくださった方々にお礼や挨拶をしているだけでクタクタ。

でも、クタクタになるから必要以上に悲しまないのでしょう。

また、お葬式は、世代交代の時期が来たのだと実感するセレモニーだと思いました。

いつまでも子供ではいられない。もう、いい加減、大人になりなさい。

そう、言われているようです。

実父と実母、夫と私と3人の娘達、この7人が我が家のフルメンバーでした。

7人、2世帯、3世代、・・・これが我が家のスタイルでした。

それが10年前に7人から6人になりました。

その「6人」という数になかなかなれませんでしたが

気が付けば「5人」になってしまいました。2世代だけになってしまいました。

たった5人だけになってしまい、寂しいものです。

家にお年寄りがいるのが当たり前だったので

年寄り=私? ってなってしまい、ちょっと戸惑います。

母が亡くなったらたくさん泣くだろうなと思っていましたが

未だにほとんど泣いていません。

感情が沸き上がってきません。

そんなものなのかもしれませんね。

10年前から母の部屋で寝泊まりしていて

母の部屋に机やパソコン一式を持ち込んできて

母の部屋の片隅が私の勉強スペースになっています。

母が急逝して、今、この部屋は思った以上にガランとしています。

母のベッドはもう片付けてしまいました。

こんなに広い部屋だったのかー

母ロス。

父を亡くした時も悲しかったのですが

今回は、その時とはちょっと違います。

心にぽっかり穴が開いてしまったかのようです。

幸い、私には仕事がありますので、日中は仕事に没頭しています。

今回も長くなりましたね。

また今度書きますね(#^.^#)

最後までお読みくださりありがとうございました。

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