アルツハイマー型認知症の実母を10年間介護してきましたが、初めての介護でどうすれば良いか分からず、暗中模索の中、「公益社団法人 認知症の人と家族の会」を知りました。
今回は、10年間の介護を振り返り、「家族の会」や、毎月発行されている「ぽーれぽーれ」などについて感想を述べます。
目次
家族の会の「つどい」
介護が始まった当時は、自分と同じ境遇の方がどう対処されていらっしゃるのかを知りたくて、各支部の家族の会の「つどい」に参加しました。
事前予約は必要なく、また、つどい中に退席自由という、フランクな集まりでした。
順番に自己紹介と困っている事などを話していきました。
途中、涙なしでは語れないお話もあり、ついもらい泣きをしてしまいました。
参加者のお話に対して、主催者側の代表者の方が優しくアドバイスをして下さり
話し手の気持ちを肯定してくれ、日々、自己否定になりがちな介護者にとっては救いの場でした。
月刊POLE-POLE ぽーれ ぽーれ
POLE-POLE はスワヒリ語で、「ゆっくり ゆっくり」とか「ぼちぼち」という意味です。
「のんびり行きましょう」とか「ぼちぼち行きましょう」だと自分では解釈しています。
10年間介護をしてみて、この「ぽーれ ぽーれ」に込められた意味が分かりました。
介護は完璧を求めずに、のんびりやりましょう・・・という風に私は受け止めています。
ぽーれぽーれの冊子の中で、私が特に楽しみにしているのは、認知症になられたご本人登場のコーナーと会員さんからのお便りコーナーです。
認知症になられたご本人登場のコーナー
まず、このぽーれぽーれを始めてみた時、認知症になられたご本人が冊子に載っている事が驚きでした。
できれば他の人には知られたくないと思う方が多い中、とても勇気のいることだと思います。
そして、ご本人の中でも、様々な活動をされていて、今年7月のADIシカゴ国際会議で発表された方もいらっしゃいます。ご本人からの日々体験している事や周囲の人に理解してほしいこと、医療について、仲間との出会い、前向きに生きる事など、とても興味深い文章がたくさん書かれています。
認知症になってからも、このようにたくさんの活動ができるのだと知ることができたのはうれしいことです。
会員さんからのお便りコーナー
会員の方の現状やお気持ちがつづられています。
以前、このコーナーを担当されていらっしゃる方の一言欄があり、
無理してよい事(綺麗ごと)ばかりを記事にするのではなく、
とても困っているとか将来がとても不安だとか、会員の方の感想をそのまま記載する旨が書かれていました。
そうなんです。介護はとても不安で将来を悲観してしまう事が多いのです。
綺麗ごとばかりが書かれた会報は、実際に介護をされている人にとっては無意味なものになります。だから、ありのままの感想をそのまま記載する姿勢に共感いたします。
「常識」と「非常識」の狭間で、介護する人は疲弊している
私は今までかなりの完璧主義で、介護をするようになった時も、理想を追い求めていました。
しかし、家事・育児(3人の娘)・仕事(フルタイム)だけでも手一杯でしたが、
それに介護が加わり、自分を見失うほどの忙しさになってしまいました。
家事・育児・仕事は「常識」があり、その常識に則って行えばよいのですが、
介護には「常識」がありません。
というか、自分が今まで常識だと思っていた事が常識ではなくなるのが、介護です。
どういうことかと言うと、
夕方、私が仕事から帰って来て玄関を見ると「包丁」が玄関にあります。
また、お仏壇のところにまな板があります。
そして、お風呂場に台所用のタワシがあります。
サイドボードの角のところに、母がなめた飴玉の残りが置いてあります。
母が買い物に毎日でかけ、同じものを連日買って来て、同じ商品が冷蔵庫内に12個あります。
8月なのに、ストーブのスイッチを母が入れていて、しかもレバーが最大限になっていました。
娘たち用に寄せていた洋菓子を、私が席を外したほんの数分の間に、母に食べられてしまいました。
仏間のお供えの和菓子が朝は10個以上あったのに、夕方見たら、包み紙だけが散らばっていました。
これらは、母は何も悪くないのです。母が悪いのではなく、「認知症」という病気が悪いだけだから。母にはこれらのことは「母の中の常識」なのです。
そして、その「母の中の常識」をいちいち否定していたら、介護する側の心が歪んできます。
「母が悪いのではない。認知症という病気が母をそうさせている。でも、母を許せない。
あー、自分は何て心が狭いのだ。自分は悪い人間だ。」と、自己否定が始まります。
介護初心者は「自己否定」「自己肯定感ゼロ」が多いのではないでしょうか。
そして、前向きだった人が圧倒的に後ろ向きな性格になってしまいます。
介護は「テキトー」が最適
10年と10日の介護で得た私の教訓です。
仕事は手を抜けませんので、仕事以外は極力「手抜き」をするようにしました。
料理は、ほどほどのものだけ作る。時々、罪滅ぼしに豪華なものを作る。
掃除は、「ちょっとくらい散らかっても死なないから」のてい。
母の汚れ物は、ちょっと洗うのには勇気がいるものは、洗わず捨てました。
もう、「いい人」にはなる気はありません。
とにかく、介護する側が先に倒れないようにするのが最適な介護だと思います。
まとめ
認知症の介護は、非常識との戦いです。
自分一人で介護せず、できるだけ周りの人と接触するようにして自分を否定しないようにしたいですね。
そして、完璧を求めず、テキトーにできるものはテキトーで結構。
また、ぽーれぽーれなどの記事を読んだり、
「つどい」に参加して同じ様な境遇の方のお話を聞いたりして
自分なりのルールを作って前向きに生きて行きましょう。
介護は、その時はとても大変で厳しいですが、過ぎ去ると「あの頃は大変だったけれど、でも、自分なりによく頑張ったな」と自分を褒めたくなります。
まだまだずっと母の介護をしたかった。
母を介護していた・・・・実は、母を介護することで私は母に守られていたのだと思います。
そして今は、いつも母がそばにいて私を守ってくれています。
お母さん、ありがとう。