強い人だけではない。 弱い人もいての世の中。

こんにちは。yonagaです。
毎日暑いですね。

今朝採れたレタスです。

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今日は母の通院までの様子をお話しします。

母の通院に付き添ってきました。

月に1回、認知症の母は
その筋の病院へ通っています。

私が休日の時は私が、
そうでない時は、夫が連れて行きます。

まずは、朝、一苦労です。

「お母さん、朝だよ。」

「お母さん、ご飯が出来たよ。」

「お母さん、味噌汁がさめちゃうよ。起きて。」

「お母さん。今日は病院の日だからもう起きて。」

夜8時頃には寝るのですが、
朝7時になっても起きません。
疲れます。

何度声をかけても起きません。
最初は優しい声で呼びかけますが
だんだん、お腹に力が入ってきます。

そして、もうこれ以上は待てない時間になると
母に掛けてある布団や丹前下など
はぎとります。

酷い娘です。

いつも、後で反省しますが
つい、やってしまいます。

母は目をキョロキョロして
しぶしぶ起き上がります。

そんなに寝て、まだ育つつもりかって突っ込みたくなります。

やっと起きて、まずはトイレに向かいます。

まっ、それは普通です。

しかし、一度トイレに入ったらなかなか出てきません。
朝ごはんや母の着るものの準備をしながら
待っています。

でも10分以上たっても出てこない時は
トイレに向かって早く出るように言います。
母はトイレの用を済ませズボンを上げた後
便座にずっと座っています。

その後何をすれば良いのか分からないのか
それともトイレが癒しの場なのか分かりません。

着替えの時も一苦労。

母は自分で服を選ぶことができなくなりました。
だから、私が着る服を全部用意して
着る順番に置きます。

でも、お決まりのように、その通りに着てくれません。
どう見ても、間違う事が難しい位、
はっきり離して服を置いても駄目です。

パンツを置きます。
3分丈のパンツを置きます。
靴下を置きます。
ズボンを置きます。

これらは、少しずつ母から遠ざかるように置いています。
だから、自分に近い物から着ればいいのですが
しかし、目の前の物を飛ばして向こうの物に手を伸ばします。

なんなんでしょうか?

アルツハイマー型認知症になって丸9年が過ぎましたが
なるべくできる事はやらせるようにしています。
一から十まで全部こちらがやってあげれば
時間はかかりません。
私のイライラも置きません。

しかし、何でもかんでもやってあげると
それだけ母の脳は休んでしまいます。
すると、できる事もできなくなってしまいます。

私が嫌なのは
出来なくなった母ではなく、
出来なくなるようにしてしまうことが嫌です。

だから、できるだけ、やれることはやってもらう。
それが基本です。

洗濯かごは母専用があります。

着替えの時、一番最初に
母専用の洗濯かごを母に持ってきてもらいます。
これも勿論、私が持ってきません。
少しでも歩いてもらうためです。
手加減しません。

洗濯かごは、私達用と母用と2個あります。
以前は1個に全員のを入れてまとめて洗濯をしていました。

しかし、何度言っても母は
ズボンのポケットなどにティッシュを入れっぱなしにしています。
母には、「かごに入れる前にポケットを確認してね。」と何度も声掛けをしますが
結局、ティッシュが入っていて
それに気づかずに洗濯をして、洗濯を干す時悲惨な事になります。

だから、母専用のかごを用意し
母の洗濯をする時は、
もう一度ポケットをさぐってからやることにしています。

1個のかごでやっていた時は
洗濯機に入れる段階でいちいち母のものを探さなければいけませんでした。

しかし、かごを別にしたことで
他の家族は絶対ティッシュを入れませんので
母のかごの分だけチェックすればいいから
洗濯しやすくなりました。
そして、ストレスも減りました。

認知症は治る病気ではありません。

進行を遅らせる薬だけしかありません。

治る薬がまだ発明されていません。

だから、介護する側の心のチェンジが必要です。

「今日、自分はどこに行くのか」を何回も聞きます。

いつもと違う、お出かけ用の服を着ているとか、
娘がなぜか私をせかしているとか、
母なりに何か感じるようです。

「わ、どごがさいぐだが?」

その度に、病院に行くんだよと答えます。
しかし、3分もしない内にまた聞きます。
で、同じ事を答えます。
で、また数分も経たない内に聞かれます。

10回位聞かれた頃に、私は切れてしまいます。

だから、その話題をそらすために次の事を私は言います。

「病院に行くと、先生が、今日は何月何日ですか?って聞くでしょ。
今日は何月何日だ?」

勿論、母は分かりません。

目の前の壁にはカレンダーがありますが
今日がその中のいつなのか全く分かりません。

認知症になりたての頃は、
今日は何月何日なのか、そして何曜日なのかを
本人は何度も確認していました。
きっと、どんどん忘れて行く自分に危機感を抱いていたのでしょう。

そんな母を手助けする為に
大きな日めくりカレンダーを居間に吊るしていました。
そして、母が日にちや曜日を聞いて来たら
その日めくりカレンダーを見るように促していました。

ああ、そういう時もあったなぁと懐かしく思います。

その後、日めくりカレンダーに全く反応しなくなり
いつしか日めくりカレンダーを用意しなくなりました。

今回も全く期待せず、母に月日を聞いたら
たまたま、母の目の前に今日の新聞があり
母はその新聞を見て、月日を答えました。

これはすごい事なんです!

新聞を見れば月日が分かるという事をまだ覚えていたのですから。

病院に向かう車の中でも
「わ、どごさいぐだば」を連発していました。

病院へ着きました。

車で片道30分位の所です。
私の田舎から街の中を通り抜けて
また田舎に来た感じです。

今まで、100回以上来ていますが
毎回、初めて来たと言います。

この病院は、予約時間があるのに
いつもその時間より1時間近く待たされます。

待っている間、いろいろな光景が見られます。

待合室でいびきをかいて寝ている人。
精神的な病気で入院している人がたくさんいる病院で
窓口にお小遣いをもらいにくる入院患者さんもいます。

診察の時、先生に「や、ひさしぶり」と第一声をする人。
診察中、一方的に話をする人。

今まで、風邪を引いたとか、歯の治療とか
誰でも行くような病院にしか行った事がありませんでした。

母の付き添いをしなければ
こういう世界があるのを知らずにいたでしょう。

いろんな人がいろんな病気で苦しんでいる。

認知症の介護は大変ですが
自分の心の成長にはプラスになっています。

強い人だけではない。
弱い人もいての世の中。

そして、できれば、弱い人が生きやすい世の中になってほしい。
微力ですが、その一助になりたいと思います。

今日も読んで下さりありがとうございます。

それではまた明日。
yonagaでした。

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