幸せも人生も自分で決める。

こんにちは。

今日はどんな一日ですか?

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同じ場面に遭遇しても、人によって受け止め方が違います。

ある人はそれを「幸せ」と受け止め、

またある人はそれを「災難」と受け止めます。

車で通勤しているあなたにお聞きします。

会社まで信号機はいくつありますか?

何回位、赤信号で止まりますか?

もしも、会社まで全部赤信号で止まってしまった場合

あなたはどう思いますか?

「今日、ぜーんぶ赤信号で、嫌になっちゃう。」って人、多いですよね。

「あの車がもう少し早く走ってくれれば。」とか

「あそこで自転車をこいでいる人がいなければ。」とか

「朝、あんなことがあって家を出るのが遅くなったから。」とか。

赤信号で止まったら「ラッキー!」です。

ちょっと眼鏡を拭きたいとか、

ヘアースタイルが気になるからミラーで確認とか、

カバンの中がぐちゃぐちゃだから少し整理するとか、

お弁当の入った袋の紐をきれいに結び直すとか、

やりたい事ができるので、赤信号はラッキーです。

また、あなたの周りにこういう人いませんか?

今出かけて現在そばにいない人の悪口や噂話をする人。

どうでもいいことに食い下がってくる人。

必要のない状態でもだらだら残業している人。

嫌だなっていう人が周りにいるとうんざり。

それでいて、その人にはっきり「嫌いです」なんて言えなくて。

でも、「こういう考え方をする人もいるんだ。」と考えて

「ふーん。」と、受け流しましょう。

嫌な事にはいちいち反応しない事です。

反面教師として参考にできます。

もしも自分にとって不利な状況になっても

それを「不利なモノ」と捉えずにいきましょう。

自分の行動にストップが掛かった時は、

「もう少し考えてみれば」と神様が教えて下さっているのかも。

また、「違う考え方もあるんだよ。」と教えてくださっているのかも。

「再考」のチャンスなのかもしれません!

「幸せ」は「なるもの」ではなく、

「自分が」「感じるもの」です。

「幸せ」はいつも目の前にありますがみんな

気が付かない事が多いです。

朝、目が覚めて、ご飯を食べて、

会社に行って、帰ってきて、ご飯を食べて

お風呂に入って、本を読んで、布団に入る。

そして、翌朝、目が覚めて、ご飯を食べて。。。。

いつもの普通の毎日が、実はとっても幸せなのです。

「たぶん、きっと、明日もやってくる。」と思って毎日暮らしています。

普通の事が明日もやってくるのは幸せな事です。

失ってみて始めて分かる事。

普段、何げなく使っている私の「手」。

物をつまむ時や、瓶のふたを開ける時、

重いファイルを下の引き出しから握って出す時、

母指に力がかかり、痛みを感じます。

そして、ぎゅっと手を握ることができなくなりました。

握手を強くされると親指の付け根が痛くてたまりません。

私の両手は、「母指CM関節症」です。

母指CM関節は良く動く関節なので、

使いすぎや加齢に伴い発症します。

関節軟骨がすり減り、

進行すると関節がずれてきて亜脱臼してきます。

だから、これ以上悪くならないように

仕事中は邪魔なのでしませんが、

指をあまり使わない時は、固定装具を付けています。

「ウィッシュ」って真似したくなりますが(古くて分からないかも)。

この病名が分かるまでは、腱鞘炎になってしまったのかと思っていました。

私は、過去、約6年間位、お札を手で数える仕事をしていました。

大手スーパーの事務をやっていて、

回収されてきたお札を機械で100枚ずつに分け、

それを表裏上下左右を合わせて

今度は人力で、人の手で100枚あるかどうかを数えます。

それはとても非効率的な事に見えるかもしれませんが、

100枚ずつに分ける機械は、「枚数」を数える機能しかないので

たまに、一万円札の中に5千円札や千円札が入っている事もあります。

それを確認する為に、人の目で見て、手で数えます。

100枚数え終わったら、帯封でびしっと縛って、

帯の終わりに海綿の水を付けて止めます。

帯封がしまったら、そこに自分の印鑑をおします。

その作業を一日中していました。

だから、親指の付け根をかなり酷使していました。

そういう仕事についていたので

お金を数えるのは普通の人とは比べ物にならないくらい早かったのです。

それはちょっとした自慢でした。

しかし、今は、親指の付け根がカチカチ音がするくらい

力も入らず、重い物は持てません。

親指の痛みがあるので、

お札を数える時も昔のように華麗な動きはできなくなりました。

これは、もう、良くはなりません。

これ以上悪くならないように固定装具で指をかばってあげるとか

最悪、手術ということになります。

若い頃は、背が低い割には握力がある方でした。

ごっつい感じの大きめな手をしています。

重い物を持ったり、お札をササッと華麗に数えたり

当たり前にできていた事が、今ではもう、無理です。

加齢だから仕方がないのですが。

年を重ねる毎に、得るもの、失うもの、たくさんあります。

でも、失ってばかりではないので、「それでよし」としています。

昔は「完璧主義者」でした。

良く言えば上昇志向、でも、年を取ると、

ある程度で諦めなければやっていけない事もあるのが分かりました。

それでいいと思います。

良い事もそうでない事も、そのまま受け止めて

あまり必要以上に落ち込まない事にしたら

なんかしらないけど、気が楽になりました。

まだ、30代、40代の方へ。

そんなに頑張らなくてもあなたは十分幸せだから。

60代、70代の人から見ると、「持っているもの」がたくさんあるから。

物事は悪い方に考えなければ、

何か知らないけれど、自分の思うように回ってきます。

幸せは、他人に決めてもらうものではなく、

自分が感じるものです。

自分がそれを感じる事を選ぶ事です。

幸せも人生も、自分で決めよう。

今日もご覧いただきありがとうございました。

これからもよろしくお願いいたします。

yonaga(世永)でした。

また明日。

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