認知症は突然にはなりません。それなりに予兆があります。

こんにちは。yonagaです。

雨があがりました。

スポンサーリンク

あじさいが綺麗です。

日中は30℃を超える暑さですが、朝晩は涼しいです。

認知症の母は、丹前下とタオルケットと掛布団をかけて寝ています。

いくらなんでも掛布団はないでしょ・・・・と思い
夜中にこっそり布団をはぎますが
朝、隣のベッドで寝ている母を見ると
布団をかけて寝ています。

蒸しあがってしまうのではと心配します。

でも、早朝や夜はやはりひんやりしています。
都会では信じられないでしょう。

突然、認知症にはなりません。

それなりに予兆があります。

周りの人がそれに気が付くかどうかです。

母が「おかしい」とはっきり気づいたのは
父が急逝した夜でした。

しかし、思い返してみるとその数年前から
母は少しずつおかしくなっていました。

私の母は次のような事がありました。
あなたのご家族は大丈夫ですか?

餅つき機でお餅を作らなくなりました。

大晦日、母は餅つき機で一升のお餅をついてくれました。
私達姉弟はお餅が大好きです。
中に餡子を入れたり、干し餅を作ってくれたり、
そのままきな粉で食べたり、お汁粉にしたりしてくれました。

ところが、あんなに楽しそうにお餅を作ってくれていたのに
いつの間にか作らなくなりました。

理由を聞くと、餅つき機が壊れたと言っていました。

それなら修理をするなり新しいのを買いかえればいいのに。

今思えば、きっと、使い方が分からなくなっていたのでしょう。
でも、それを周りに言いたくなかったのでしょう。
そして、物忘れが激しくなっている事を自分が認めたくなかったのでしょう。

父を面と向かって叱るようになりました。

母は、父への不満を私には言っていましたが
父に直接いう事はめったにありませんでした。

しかし、そのうち、父のちょっとした事に対しても
父に直接、小言をいうようになりました。
そしてだんだん、激しく叱るようになりました。

あんなに静かな母が父を大声でどなっていて、
どうしたのかな?
父を叱る時は、母の性格が一変していました。

激しく感情をあらわにする
これも認知症初期の症状の一つだと言うのが、
あとでいろいろ調べて分かりました。

同じ物を続けて買ってくるようになりました。

母が何度も買ってきたのは、チキンハンバーグでした。
3個で一束のもので、昨日も、今日も買ってきました。

当時、チキンハンバーグは我が家であまり食べなかったので
3個、6個、9個、・・・・と増えて行きました。

「お母さん、これ、たくさんあるから
当分、買ってこなくていいから。」と言っても
翌日、また買ってきました。

その内、自分で買い物に出かけた事自体を忘れるようになりました。
認知症の症状は随分進んでいる証拠です。

お金の管理ができなくなりました。

母はATMでお金をおろした事がありません。
いつも窓口でお金を下していました。

だから、どうしても通帳と印鑑が必要です。
そして、その内、通帳と印鑑をどこに置いたのか分からなくなりました。

その度に、家族が家中を探しました。
小屋も探しました。

なんとか見つけ出しほっとしたのも束の間
すぐにまた無くしてしまいました。

なくす → 見つける → なくす → 見つける

これを繰り返していた頃
母に、通帳と印鑑を私に預けた方がいいのではと提案しましたが
却下されました。

ある日、母は一人で金融機関の窓口に行き、
通帳と印鑑を無くしたから新しいのを作ってほしいと訴えました。
その時対応してくださった支店長さん(女性)が
その場は上手に母を帰し、その夜に支店長さんから自宅へ電話が入りました。

母の言い分を聞き、(もしかして認知症では?)と感じたそうです。
その支店長さんも認知症のお姑さんを介護されていて
母に同じものを感じたという事です。

それからまた何度もなくす見つけるを繰り返し、
なかなか見つからず、諦めかけ、やっと見つけた時に
母は観念して、自分から通帳と印鑑を私に預けるといいました。

あれほど通帳と印鑑の居場所を忘れるのに
「通帳と印鑑は、娘の○子(私)が持っている」という事実は
絶対に忘れませんでした。

だから、朝、起きると、私のところに来て
「金をよこせ」と言いました。

母にとって「金」は「1万円札」をいいます。

母はいつも買い物に出かける時は1万円札を持って行っていました。
買い物かごの中がいくら位なのかは考えずに買う人でしたので
大体、1万円があれば足りなくないだろうというのが
母の買い物の常識でした。

認知症初期は、毎日、自転車で買い物に出かけていました。
そして、同じものを毎日買ってきました。

母は私からお金を受け取るとなぜかすぐにどこかへしまいます。
きっと、無くしてはいけないという強迫観念があるのでしょう。
しかし、認知症が進むにつれて、
そのお金をどこにしまったか分からなくなりました。

そして、また、家族全員でウチの中、小屋の中を探しました。
そして認知症がもっと進むと、
私からお金を受け取ったことさえ忘れるようになりました。
「さっき渡したでしょ」と言っても「もらっていない」と言い張る母。
私が嘘をついているという母。

親に泥棒呼ばわりされました。(悲)

夜中になると凶暴になりました。

日中も「金をよこせ」と私に迫りますが
夜中、私の枕元に来て、「金をよこせ」「金を返せ」と叫ぶようになりました。

肌着とズボン下、それに、紐が付いている大きな財布を首からぶら下げて
「金をよこせ」「お前は眠れていいよな。私は眠れないんだ。」と叫んでいました。

母の挙動がおかしいと感じたから
父が亡くなったその夜から
母の部屋で私は寝るようになりました。

母の部屋はガラスの引き戸です。

夜中、いつものように私に暴言を吐き
母はそのガラス戸を力いっぱいに閉めて
ガラスが割れて床に落ちた事があります。

変わり果ては母の姿を見るのはとてもつらいです。

認知症初期は、そうでないふりをすることが簡単にできます。

認知症初期の頃母は、普段接していない人には
認知症ではないふりをすることができました。

少し離れたところに住む姉が週一回位、実家である私の家に来ていました。
姉がいる時の母は、不思議なほど普通なのです。
おかしくないのです。
認知症にはなっていないように母はふるまえるのです。

初期の頃は、そうやって自分を偽る事ができましたが
あれから9年以上たった今は、誰が見ても認知症の人です。

認知症かもしれないと思っても、診断を受けるまでは相当な月日が掛かりました。

最初は母がなぜこのような行動をするのか理解できませんでした。
しかし、いろいろ調べていくうちに、認知症ではないかと思うようになりました。

そこでなるべく早めに病院で診てもらえば良いのですが
我が家はすぐには病院へ連れていく事はできませんでした。

とにかく母は、自分はまともで、娘が自分を変な人扱いをしていると思っていたので
認知症かどうかの診断のために病院へ行くことは
ずっと拒否されていました。

また、娘の私も母が認知症かもしれないという事実を受け入れたくなくて
「その内に・・・」と先延ばししていました。

しかし、母の奇行が頻繁になり
やっぱり一日も早くお医者さんに診てもらい
必要な治療を受けなければいけないと思いました。

父の49日法要の時、母は父が亡くなっている事を覚えていませんでした。

何もしないとどんどん症状は進んで行きます。
のんびりできない、
早くそれなりの対処をしないといけない。
気持ちは焦るばかりでした。

ほとんど強制的に病院へ連れて行き
診断していただき、そして、
アルツハイマー型認知症だと分かりました。

認知症の介護は、頑張らない事が一番の秘訣です。

母がアルツハイマー型認知症になり、
私も家族も、それなりに頑張ってきました。

私にとって一番の変化は
毎日の食事の支度です。
今までは食事の支度は母の役割でした。

私は突然残業になる仕事をしていましたので
朝に食事の支度とお弁当を作り、
昼・夜の食事は母がやっていました。

母は認知症が進んで料理ができなくなり
当たり前ですが料理は全部私がすることになりました。

今まで楽をし過ぎただけですが
毎日の食事の支度が、結構、プレッシャーでした。

そして、仕事の方がとても忙しくなり
残業して帰宅すると、母が「金をよこせ!」と迫ってくる。

やっと床についたら、母がまた「金を返せ!」とか言ってくる。
会社は忙しい。
昼も上司に呼ばれて、結局お昼休みがなくなり
5分でお弁当を食べてすぐ仕事に戻る、
そういう事がしょっちゅうでした。

残業から帰ってへとへとなのに
母から攻撃。

休日、ちょっと横になると母がまた来て「金をよこせ!」攻撃。

お金を渡すと同じものを何回も買ってくる。

でも、買い物に行った事さえ忘れている。

当時、私が疲れを癒す場所はありませんでした。
そこで、スーパーの駐車場で昼寝をしたこともありました。

仕事はお蔭様でとても忙しい。

休めない。

家に帰れば母からの攻撃が。

母にお金を渡すとすぐになくす。

だからお金がどんどん減っていく。

そうこうしていたら、
私は右耳が「突発性難聴」になり、10日間位入院しました。

「突発性難聴」はいろいろ原因がありますが
私の場合、「過度のストレス」が一番の原因でした。

入院中、考えました。
頑張るのをやめようと。
介護する側が頑張りすぎると、先に倒れてしまう。

私が倒れたら認知症の母はどうなる?

のんびり介護をしようと決めました。
だから、家の中がぐちゃぐちゃでも
眠いなら寝てしまおう。

自分の体を優先することにしました。

介護は、「○○すべき」ではなく
ゆる~くやっていきましょう。
長期戦だから、力を抜いていきましょう。

今日も読んで下さりありがとうございます。

それではまた明日。

yonagaでした。

「読みましたよ!」とクリックしていただければ嬉しいです!

にほんブログ村 OL日記ブログ 既婚OL(子供あり)へ

クリックありがとうございます(*^-^*)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする